【本を読む】筑後川を道として 日田の木流し、筏流し 渡辺音吉

2
僕は今、福岡県南部の八女という土地に住んでいます。福岡県南は筑後地方と呼ばれ、筑後川という大きな川が流れています。「昔は日田の方(山間地)から川を利用して木を流して運び、大川(海側)の方で家具や船に加工して、全国へと出荷されていた。」という話しを聞いたことがあり、本屋でたまたま目にしたこの本に目がとまり、読んでみました。

もう二度と見る事はない物語。

伐り山(きりやま)から木流し、筏流しと、山から木を切るところから、納めるところまでやってきた大分県日田の渡辺音吉さんの聞き書きです。車も機械もない時代、山からあの大きな巨木を平地へと運び、川を使って流通させ、運ぶ。大変な作業だったと思います。その一連の流れを、渡辺音吉さんの弟子入りから一人前になるまでの変化や、親方、同僚、宿の人との関係や、当時のお金だけではないぶつぶつ交換の様子など、当時の文化的豊かさが垣間見えます。本当にこの本には人間の知恵と豊かさが詰まっています。
「なんとかやきー」と聞き書きなので、日田弁丸出しのところも愛らしいです。渡辺音吉さんは1903年生まれということで、数年前になくなったということですが、一度会いたいと思わせる人間性の豊かさと愛らしさがこの本からにじみ出ています。

人間の生きる知恵が詰まった本である。

繰り返しになりますが、この本には何百年と蓄積されてきた、人間の知恵と経験が記されています。この知恵と経験は、つい最近の時代まで代々受け継がれてきました。しかし、逆にこの本を読んだ事で途絶えたことがわかります。ここに記している風習や文化は、僕らが日常生活をする上で知り得ないことばかりだからです。知恵と経験は、文化的な側面や風習を無視し、その機能と効率化のみを考え「機械化」「モータリゼーション化」され、それは物理的には処理されることになります。豊かな知恵は、もう書物などでしか見れないものになるかもしれません。この木を流し流通するという文化は、ダム建設が完了し、なくなりました。
読み終わった時、物が溢れた今の時代が、なんだか残念に思え喪失感すら覚えました。でも人間は後退できない生き物です。それを受け入れながら、今の時代で自分が何ができるか考えてみようと思います。

どこの土地でも、無名の偉人はたくさんいます。僕の仕事は、今からそういう人たちの話しを聞いたり、なんらかの形でそれを伝えていくことかと勝手に思っています。まだアウトプットの方法はいまいちつかめていませんが、少しずつがんばろうと思います。

すばらしい本。興味ある方は、ぜひこの本読んでみてください。

語り: 渡辺音吉(わたなべ おときち)

1903年、大分県日田市生まれ。日田考古学同好会会員。十代半ばから伐り山、木流し、筏組み、筏流しの仕事を覚え、それらを百姓の副業とした。妻フサさんとの間に五男三女をもうける。戦争中は四度応召、戦後も52年まで筏流しを続けた。

聞き書き :竹島真理(たけしま まり)

1967年、大分県日田生まれ。大分合同新聞記者を経て、フリー記者に。「増刊 現代農業」などで取材・執筆している。

– – – – – – – – もくじ- – – – – – – –
第1話 伐り山
第2話 木流しの飯炊きに
第3話 木流しの服装と道具
第4話 木流しの仕事
第5話 筏の組み方
第6話 筏の乗り方
第7話 中のり
第8話 下行き
あとがき
– – – – – – – – もくじ- – – – – – – –

3
様子1.集められた丸太。筏が組まれ下流へと流される。

4
様子2。女の人はもんぺ姿に前掛けという姿だったようだ。

5
今は、すごい早さで、いろんな事が変わっている時代。ちゃんと記録しなきゃ。

筑後川を道として―日田の木流し、筏流し

中古価格
¥2,598から
(2014/3/21 12:46時点)

白水

読み込み中…