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【エッセイ】集合体としての面白さ。ミイラとりをミイラにしよう作戦。

12月 13th, 2015

長く続けることで、文脈が生まれる。

物体にしろ、現象にしろ、単体での面白さという側面と、それが集まって面白くなるという側面がある。僕は後者の方に結構面白さを感じている。どこで読んだ本だか忘れたけど、あ、思いだした。村上春樹さんのエッセイだ。どのエッセイだったかな?そうだ。タイトルは忘れたけど芥川賞について書いてあるパラグラフで、単体で芥川賞や文学賞を受賞することができる人はいると。それは、そうむずかしい事ではない。しかし、30年、50年作品を仕事として書き続けることの方がとても難しいんだ。という内容だったように記憶している。たとえばノルウェイの森なんて代表作があるけれど、それは、いろいろ出版してきた中でのノルウェイの森だから意味があるんだ。ということ。ゴッホのひまわりとか、ピカソのゲルニカとか、誰もが知る有名な作品であっても、多分単体ではなくて、その人の全体作品や歴史的背景も含めた全体感からの評価になっているし、その文脈があるから人は、その作品を面白いと感じるのだと思っている。
そういう意味で、自分に置き換えてみると、何をずっと続けれる能力なのか、考えさせられることも多い。何かを残していかないといけないとは毎日危機感があるのだけれど、何を残して行くべきなのか、どういう行動をしてよいかよく指針が決まらずにここまで来てしまった。

僕の仕事においての役割
会社ってなんだ?

仕事においては、本当に日々の小さな積み重ねが大事だと感じている。僕の仕事は売上と利益を担保し、面白いと思う人を誘って、この筑後地方という場所をケーススタディにして地域資源を色々な方の特性で探索できるかということが実験としての面白みだと思っている。僕もその集合体の中の一人だし、それぞれも自分の視点というものをすごく大事にしながらサーベイしてもらえたら、全体感(集合体=会社)の仕事として結構楽しい団体になるんではないかと感じている。

会社という捉え方が、利益をあげるための集合体という考えではなく、あくまでも地域資源を発掘するための個人の集団であり、そういう人が面白いと思える環境が、この地方にはあるということであると思っている。あとは、その人達が定住する仕組みをつくること。定住しなくてもいいと思っているけど、定住した方がより面白いなとも思っている。逆に言うと、定住して欲しいと思っている。僕は結婚してこの土地に住まなければならなくなったので、面白い人達が周りにいた方がより面白いと思うから。

ミイラとりをミイラにしよう作戦

そこで解決策としては「ミイラとりをミイラにしよう作戦」、エジプトで「ミイラ」の研究者たちが「ミイラの研究」という目的で現地に住み込み調査を始める。そしたら、現地の人と結婚してしまって、子供が生まれ、その土地に暮らすことになり、研究を続けていたある日、ピラミッドから戻ってこなくなり、行方不明になりお亡くなりになり、何百年後、何千年後、何年でミイラになるのか僕には知識がないのだけれどミイラになりピラミッドで発見される。

そういう現象を起こしたいと実は思っている。今からこの土地に期限を決めてくる人達は、その期間を終え、自分の土地に帰って、ここで得た何かしらのノウハウや経験(役に立つかはわからないが)を還元するという選択肢もあるし、この土地でミイラになるという選択肢もある。僕は強制はしないけど(当たり前だ)、この土地でミイラになってもらえるように、面白い資源をたくさん一緒に発見していくというのが仕事だと思っている。

別にこのうなぎの寝床という組織に属する必要はまったくないと思っている。独立してもいいと思うし、自分の住みたい土地に移動するというのもありだし、そこから何か一緒にやれることがあったら関わるというやり方でもいいと思っている。関わるというのは、また曖昧な領域で、僕の中で関わるというのは「思い起こす」ことも関わるに含まれると考えているから、かなり「関わる」の定義は広いと思う。人は2回死ぬという話しを聞いた事がある。1回目は肉体の死、2回目は人々から忘れられた時。それと似たようなものである。人に覚えておいてもらえただけでもそれは土地として人として関わっていることであり、その人の精神世界のどこかにいるということだから。

この土地がそんな関わる人にとって、何かしらの場所になればいいと思うし、記録していきたいなと思っている。その集合体が僕にとっての面白さかもしれない。


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