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意思だけでは何も変わらない。ものづくりの経済性と社会性。

1月 4th, 2015

藍染手織 久留米絣の着物

あけましておめでとうございます。白水です。

うなぎの寝床は今年3年目を迎えています。本当に0からのスタートでまったく分からない中から「地方にこういう機能の場所があればいいんじゃないか?」という僕と春口の個人的な関心から民間におけるアンテナショップを立ち上げたもので、今のそのあり方を模索しています。2年間でその場所は少しずつ良くなっているという実感を持ちつつ、明確なビジョンがないことにも気づきました。ビジョンは本当になくて、ただただ思いついたことを実験的にやっています。しかし、それだけではちょっと駄目なのかなと去年の後半あたりから考え始めました。

お金なんか関係ない?
意思だけじゃ、何もかわらない。

うなぎの寝床をはじめた2014年、僕らはまだアマチャンでした。お金より、経済より奉仕的な精神が大事であるという信念のもとお店をはじめました。つくり手の人々もこういうお店を求めていると信じ、みんな喜んでくれるはず。という淡い期待を持ちつつはじめたのですが、まー現実はそー甘くありません。ものづくりに携わる人々ももちろん立派な社会人であり、親であり、仕事としてものづくりに関わっているのです。理想ではどうしようもないお金を得るという経済の部分は当たり前の最低ラインです。今考えるともう当たり前なんですが、はじめはこういう事もわかっていませんでした。売上げがしっかりあがらないと、業者さんにも申し訳ありませんし、そこがないと一緒に仕事として取り組めません。
お店を立ち上げた当初は、趣味か仕事かわからないくらいの売上げしかありませんでしたが、コツコツと活動をしていき、なんとか二人が食べれるほどの売上げはたてることができるようになってきました。そこで、最近は本当にものづくりに物理的に貢献できているのか?ということについても考えます。産業を本当の意味で支えるという意味では文化的側面や側から支えるということではなく、ちゃんと経済の面でも機能していくことが重要だと考えています。

例えば、久留米絣について見てみましょう。

経済から見る久留米絣。僕らの経済的貢献度。
残念ながら全体の1%しかない。

久留米絣は最盛期には200万反(1反が12メートル)の生産を誇る産業でした。今では10万反弱という数字のようです。織元は30件残っており、僕らはその5.6業者と取引をしています。まだまだ問屋さんの存在が強く(最近は悪い意味で使われることも多いけど、いい意味で)、そこに支えられている部分も大きいと思います。僕らは「もんぺ」という製品にして久留米絣の服を販売しています。去年、僕らが織元さんに発注した量は1200反くらいでしょうか。産業の全体生産量の1%程度です。もちろん今までの久留米絣を愛用していた婦人服の分野ではないところで広報活動をしますので「広報」という部分では、少しは機能していたかとは思いますが「経済」的側面から見てみると1%弱であり、久留米絣の大きい工場からしたら、1〜2ヶ月分の仕事程度しかありません。

僕の中では「これで産地をささえる、ものづくりを発信する。」という立場がとれるのか?ということが疑問としてずっと抱えています。できる範囲からしかやらないし、銀行などからお金を借りている訳ではないので、まずやれる範囲からだとは思っていますが、時代はどんどん変わっていて、今この瞬間にやれることをやらないと、明日は、来月は、来年はどうなっているかわからない時代です。今打たないといけない手もたくさんあることにも気づいてますし、危機感もあります。

職人も一般的なサラリーマンである。
みんな家族と生活がある、普通の一般人。

職人というと孤高の存在のように感じるかもしれませんが、立派なサラリーマンの人がもちろん多く、本当に細かい仕事にものづくりは支えられていることを感じます。みんな生活があります。今はものづくりも海外製品、海外生産の物と戦わなくてはいけない時代なので大変です。国産でできる領域と価値はなんなのか?みんなが考える必要があると思います。

先日インドに行ってきましたが、日本の人件費、ものづくりにかかるコストはやっぱり非常に高いと思います。個人的な感覚でいうと、僕は服が1万、2万しても長く着るし、長く着れば、着た年数で割ると全然安い買い物だと思いますし、極端に言えば、低価格のものも品質が良くなっていますので、2000円のズボンでも5年、10年着れると思うし、2万円のズボンも5年、10年着れると思います。個人的にはあんまりこだわりが強いという方ではありません。

物をつくるということは、物を売らなければならないということです。売るということは値段をつけるということです。例えば服作りを全て日本で行おうとすると、どう考えても大手のSPA(製造小売業)などの服と比べたら3倍近くの値段になってしまいます。これは、人件費などの面からしても、もうどうしようもなく仕方ないことです。

日本ものづくりの過程を見てみると(僕がみた範囲で)、そこまで高い賃金ではなく職人さんが関わっているので「高くつけていいじゃん。」という気持ちになりますが(感情論)、一般の人から見るとあくまでも他社製品との比較で見ますので、そういう訳にはいきません。高いものには高いなりの価値がないと納得がいかないのは一般常識かと思います。

少し話しはそれましたが、日本でものづくりに携わる人々がしっかり自分たちの生活をできる賃金を担保するための製品をつくっていくことが重要です。生産現場のことを知りながら、消費者動向も知りながら、それを調整し、両者へ提案していく人材や会社が必要だと思っています。なぜそれに価値があるのか?なぜそれを使った方が豊かなのか?それは物理的な物だけの問題ではなくて、感情や感覚や、いろんな背景が絡んでいるように感じます。その物を取り巻いている何かを僕らは伝えていかなければならないと思っています。それを、九州・筑後地域という絞られた場所でそれをやってみようと考えています。

文化的にも、経済的にも発展させる。
意識を変えなければならない。

僕らの目的はお金儲けではありません。それははっきりと言えます。お金儲けを中心にすえたとしたら、こういう仕事のやり方にはなりません。あくまでも地方に面白い資源と人と魅力がたくさん眠っている。それを掘り起こし伝え直したい。それが目的です。しかし、その意思だけでは限界が早くも見えてきました。意思だけでは何も社会との接点を持つ事はできません。今までは意識的に文化的側面に頭が行きがちだったのですが、今年は経済的な面でもしっかりいろんなところにアプローチできる仕組みの土台をつくっていきたいと思います。

ということで、今年もよろしくお願いします。写真は久留米絣、藍染手織りの着物です。

白水高広


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