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【考えたこと】無駄ではない余白

6月 27th, 2016

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短期的な余白と 長期的な余白
人生機能と実務だけじゃつまらない

結構実務的なことが最近は多いので、どうでも良いことを書いていませんが、たまに「考えたこと見てます。」と言われるので、どうでもいいことも少し書いていきたいと思います。

うなぎの寝床は、なんとなく(本当になんとなく)人数が増えて行き8人で今やっています。僕は社会にあまりうまく適応できる人間ではなかったので、というより多分社会人として普通に組織の中には精神的に居れることができなさそうだったので個人として独立して、ハルと一緒にお店を立ち上げ、今にいたります。しかしながら、一応会社という形態をとり、この筑後地方を中心とした九州の「物」や「事」を通じて社会や人とコミュニケーションをとり、そのコミュニケーションの対価としてお金(貨幣)を頂いています。とてもありがたいことです。

過不足なくというのは難しい
しかし、それを実現していくべき。

僕は基本的には本以外にはそんなお金を使う方ではないので、過度に収入が欲しいとかそういう願望はないのですが(そりゃーあるにこしたことはないかもしれないが、もちろん欲はあるので)、やっぱり一緒に働く人は家族のようなものだと思っているので、ある程度の売上と利益は担保しなければならないなと常に考えています。しかし、だからといって、使い手の人にサービスや物を押し付けるというのは違うと思っています。あくまでも社会という中で、どういう物や事が必要か、それに付随するこの情報を届けた方がいいんじゃないか?という観点から情報発信や物を売ったりしているつもりです。

その「売上や利益を担保しなければならない。」という危機感と、「やるべきことを過不足なくやる。」というバランスは非常に難しく、特に売上があがっていなかったりしたら焦りが出て来て、変な頑張り方をしたりしなければ行けない時も出てきます。それはまー、どの仕事でも社会に属していたら発生してくる事柄だと思うので、ある程度は仕方ないとは思いますが、なるべく人間本来のペースで、過不足無くやりたいものです。

最近はある伝統工芸のプロジェクトを商工会議所さんとやっていて、九州大学(芸術の方)にちょこちょこ足を運びます。大学の時のことを思い出します。ほんの10年程前ですが、持て余していた時間でたっぷりと本を読み、旅行をし、いろんなことを考えました。僕は今年31歳ですが、その中でも余白というかある意味、意味をなさない時間であり、それがあったから、今があるとも言えます。

この31年というスパンで見た余白は大学生の時だ。と確実に言えます。そしてこの余白がすごく重要だと思っていて、それは日常にも必要だと思っています。1日スパンでも、どこかに余白を作るべきかと。それは1ヶ月スパン、1年スパンでも同じことが言えると思います。芸大で僕らが切羽詰まって、ある棟のオープンスペースのような場所で真面目に打ち合わせをしていると、その奥のホワイトボードにペカソさんの落書きがありました。なんとも気が抜けて、全然打ち合わせに集中できませんでした。世の中には、今こういう余白のような空間や時間が少なくなって来ているなと感じます。日本人はこういう余白を作り出すことがもともとは多分上手だったんじゃないかと思うのですが、多分戦後仕事を頑張りすぎて、余白の作り方を忘れたんじゃないかなと思います。

しかし、時代は繰り返す。多分そのひずみのようなものに気づいている人は多くいると思いますが、慣性の法則が働き、なかなかすぐには止まれない。じょじょに戻っていくんではないかと僕は思っています。余白がいるよね。という話でした。日曜日の夜に失礼。白水


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